ぼくは齋藤孝があんまり好きになれない。
ていつも思いつつ、なんぼほど齋藤孝の本買うねん、ってはなしですけどね。
なぜ好きになれないかをしばらく考えたんですけど、
これ、きっと、ぼくの嫉妬心です。
本自体は装丁とかも含めて、佐藤優の『読書の技法』のパクリですよね。
二匹目のドジョウを狙った感じ。
どこか忘れたけど、どっかの業界では
「柳の下にドジョウは三匹までいる」っていう言葉があるらしい。笑
佐藤の『読書の技法』は読者階級に向けられた本だけど
この本は普段本を読まない人に向けられた本だったかも。
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上でも述べたとおり、ぼくは斉藤孝の本を読んでいつも後悔する。
でもまた読んでしまう。
なんとなく嫌悪感がある。でもまた読んでしまう。
なんだこれ? この嫌悪感はなんなんだ?
と思って少し考えてみたところ、斉藤孝に対して嫉妬心があるから、という結論になりました。
ぼくは斉藤孝に嫉妬してるんですね。
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最初、齋藤孝に対する嫌悪感がどこからくるものなのかよく分からなかった(もしくは、嫉妬してるって自覚したくなかった。)ので色々なことを考えました。
いつもニコニコしてて、言ってることも性善説的。
言ってることやってることすべて倫理的で道徳的。
倫理的だけど、その倫理が世間に迎合しすぎてる気がする。
その道徳的な言説って全部自分のアタマ使って詰めて考えてるのん?
でも逆に
3つの勉強、仕事、お金、アカデミックな勉強はすごいできてるよなー。
大学教授にありがちで、夏目漱石の主人公みたいな、お金を稼ぐことを卑しいと思ってる人でもない。
仕事もバリバリこなすし、お金も稼ぐし、教養人やし、完璧。
じゃあ、なんででしょ、男としての魅力がないから?
ニーチェは「男が熱中できるのは危機と遊び、この2つだけ」って言ったけど、
斉藤孝はそこらへん追求してなさそう。
だから、おもしろくないのかな?
でも、おもしろくないことと、嫌悪感を抱くことは全く関係ないよなー。
斉藤孝の言葉も、論理も、思考の鋳型も、話の前提も、良心的かどうかも、実行力も、そして行為も、何もかもべつにおかしいと感じるところはない。
こんなことをダラダラ考えていた時に、
「あ、これはぼくの嫉妬なんだ」
ということに気づいたような気がします。
ぼくは齋藤孝を批判することはできないです。
ぼくは、お金を稼いで、勉強して頭よくて、フランス語も喋れて、仕事もバリバリできる、どこをとってもぼくより上の斉藤孝に嫉妬していたんですねー。
ぼくの嫉妬心は人より強いのかなーーー。
嫉妬心ってコントロールできるものなのかなー。
でも、そこら辺のことを自覚することは大きな第一歩のような気がする。
そうと分かれば、これからはもっと素直に斉藤孝の話を聞けそう。うんうん。
(だーりんはーばー。)
でも、斉藤孝に、「危機と遊び」要素が少ない、
という分析はいいとこついてんちゃん。
佐藤優にあって、開高健にあって、マザーテレサにあって、斉藤孝にないものはそれ?
最後の最後に、最後っ屁を斉藤孝にかまして、逃げます。シャッ