佐藤優と竹村健一。
おもしろい。
『神と国家とマルクス』で佐藤優のことを
「真ん中に神、左にマルクス、右に国家」と表現した、竹村健一。
いい言葉ですよね。
佐藤優と誰かが対談して、共著というカタチをとると、いつも佐藤優が八割しゃべっています。
いつも対談相手が佐藤に圧倒されて萎縮してる印象ですが、竹村健一はそうじゃなかった。
竹村健一の素直にハナシを聞く姿勢ってすごい、真似したい。
立花隆は佐藤に圧倒されてる、という感じではなかったけど、
手嶋龍一とか佐高信とかは正直、佐藤とは渡り合えてないように感じた。
本の内容はいつもと大体一緒。
でもはじめてきくこんな話があった。
この本のサブタイトルは「寛容と多元主義が世界を変える」なんですが
こんなくだりがあります。
ほーほー、おもしろい、初めて聞いた。
「寛容な精神」というのにも起源があるんですか?
ほえー、ふーーーん。へーぇ。
ーーーーーーーーーー
あと、外務省に、
こんな人間がいるよ、という話があった。
…。
どこにでもこういう人はいます。
意識高い系の人はこういう罠にハマることがあるよね。怖い。
背伸びして、厳しい環境に入っても、それからがしんどいですよね。
ぼくはなんとなく、HUNTERXHUNTERのレオリオを思い出したんだけど、、、
レオリオはまた違うか 笑
こういう人間にならないように気をつけないと。。。
(バルコニーからの風景。曇っている。)
本の内容はいつもと大体一緒。
でもはじめてきくこんな話があった。
この本のサブタイトルは「寛容と多元主義が世界を変える」なんですが
こんなくだりがあります。
佐藤 寛容な人というのは、実は気難しいし、怒りっぽいのです。なぜかというと、自分にはっきりした考えがないと、他人には寛容になれないからです。ですから、相手の考え方が間違っていると、烈火のごとく怒ったりする、じつは寛容な精神というのは、三十年戦争など、ヨーロッパで徹底的な殺し合いが繰り広げられた結果、出てくるわけですから。
竹村 そうでうね、日本でも南北朝の戦乱の中で寛容の精神が誕生したということですからね。寛容の精神というのが戦争の混乱から生まれるとはね。
佐藤 自分の考えを押し付けるのはよくない、結局悲劇を生む。お互いに妥協して共存共栄を図るのがお互いのためという思想が生まれて、ようやく折り合いをつけた結果、生まれたのが寛容の精神です。
ほーほー、おもしろい、初めて聞いた。
「寛容な精神」というのにも起源があるんですか?
ほえー、ふーーーん。へーぇ。
ーーーーーーーーーー
あと、外務省に、
外務省の試験に受かってもそれで目いっぱい。一生懸命なのはわかるけど、基礎的な勉強ができてないから、人の何倍も時間がかかる。次のステップになかなか進めず、いつか自分を磨くことを諦める。周囲の足をひっぱることに心血を注ぎ始め、どんなことをしても競争に勝てばいいという発想になる。
こんな人間がいるよ、という話があった。
…。
どこにでもこういう人はいます。
意識高い系の人はこういう罠にハマることがあるよね。怖い。
背伸びして、厳しい環境に入っても、それからがしんどいですよね。
ぼくはなんとなく、HUNTERXHUNTERのレオリオを思い出したんだけど、、、
レオリオはまた違うか 笑
こういう人間にならないように気をつけないと。。。