テーマは「理数系」
のなかでも「宇宙」とか「量子力学」とかです。
むずかしいー。
読むの時期尚早だったかな。
友人曰く「物理学部」って大きくカテゴライズしたら
「宇宙・量子力学」「電子」「超電導」「熱力学」になるとのこと。
ふーーーん、覚えとこ。
青木薫が翻訳してる本は要チェケラって言ってたのはたしかホリエモンやったかな?
『フェルマーの最終定理』も青木薫が翻訳してるんですけど、電子化されてなくて読めないんです。
それでとりあえず青木薫が翻訳してるこの本を読んでみました。
サイエンスライターの竹内薫が『理系バカと文系バカ』という本を書いていましたが、この作者、ローレンスクラウスはどうも理系バカに思える。
「少なくともぼくは神が創った世界に住みたくない」とか言ってて、なんだかなーという感じ。そんな鼻息荒げなくてもいーのに。
じつはわたしは、何人かの神学者に対して、少なくとも近代科学の黎明から五百年間については、神学は新しい知識を何ひとつもたらしていないではないかと自分の意見を述べ、それを覆す証拠があるなら教えて欲しいといったことがある。しかしそのような証拠を示してくれたものはひとりもいない。これまでにもらった答えは、たいてい次のような問いかけだった。「あなたのいう知識とは、何を意味しているのか?」。なるほど、認識論的な観点からは、これはこれで難しい問題なのだろう。しかし、もしこんな返答よりもましな答えがあるのなら、誰かがそれを返してくれているのだろうと思うのだ。もしもこれと全くおなじ質問を、生物学者や、心理学者、天文学者らに投げかけたとすれば、答えに窮するものはいなかっただろう。
たしかに言いたいことは分かる。
神学がどう人類の役に立っているのか。
むしろ適当に嘘ばっか並べて。けしからん。その態度がはらたつ。
ということですよね。
でも「科学的、数学的に正しい」ことが「正しい」と信じることにだって根拠はない。
「科学的に正しいことは正しい」って帰納法的に正しいつもりだったとしても、いっぱい例外ある。まっだまだ科学で説明できないこともあるんだから。
「1+1=2ってなんで?」って聞いたら理系バカは怒るんです。
答えが「そーやから」あるいは、突き詰めて考えると「信じてるから」になって自分が神学者と同じ土俵に立っているのがわかるのが怖いから。
科学者は何のために知識を追求しているのか。
その目的が「人々を幸せにするため」ならば、方法は違えど神学も十分に大きな働きをしてるじゃないでしょーか。
この作者もきっとすごい影響力あるんだから、そういう前提に立って科学、数学を強力なツールとして捉えてほしーものです。
…。
ぼかぁー数学がんばります…。