まーた佐藤優。
この本今年イチおもしろいかもしれないなぁ。
糸井重里が
「なかなか言葉で説明できないものは、おもしろい」
ということを言っていたけど、分かる。
この本は前回もおもしろく読んだんですけど、感想は短めでした。
ボリュームと質がありすぎて、消化とアウトプットが追いつかない。
ちょっとずつ整理しながら書いていこう。
『神・国家・マルクス』で佐藤は自分自身のことを
「私はナショナリズム、そしてキリスト教という病気に罹ってる」
って言ってた。
そうなんですね、佐藤優にはナショナリズムな部分が多分に、というかそれが佐藤の根幹でもあります。
新帝国主義という国際環境のもとで、困難な国内状況に面しているにもかかわらず、日本人も日本国家も生き残らなければならない。なぜ生き残らなけれなならないのか。それは、父母、祖父母たちから引き継いできた日本を、我々が子孫に継承していかなければならないからだ、そこに理由はない。あえていえば、「そうなっているから、そうするのだ」ということである。
なるほど。
この文章だけだったら右翼的な感じがするけど、あとに佐藤はこう続けます。
神、家族、民族、国家などもっとも重要な事柄については、なぜそれが必要かという理由を究極的に説明することはできないのである。
すばらしい一文 。
ずっと佐藤を読み続けてきて、最近この感覚がすっと腹に落ちるようになってきたように思う。
究極のところでは好き嫌い、ということですよね。
(世界遺産、ブルーマウンテン ほんとに山があおい。)
あとボクは文学部で勉強してて、本を読む意味というものが考え続けてきたのですが、その答えもなんとなく得られたような気がします。
小説を読む意味は、ストーリーテラーとのしての能力をつけるためなんです。
なんでも、人とか、組織とか、会社とか国家を動かそうと思えば、
説得して納得させなければならない。
人間は論理だってない説得でも納得するもの。
論理立ってることよりも、物語性がある事のほうが大事。
その物語を意識して俯瞰することができるようになるためにも、
小説を読む、ということは大事。
物語を作る、そして自分たちが巻き込まれている物語を客観的に眺める能力をつけるのに、小説はいいトレーニング。
「ストーリーテリングの能力」というのはキーワードですね。
この能力を開発する、ということが、
「小説を読む意味って?」
という問いの答えのひとつになるかもしれない。
以上はまえがきに書いてあったこと。
佐藤は本を書く時、まえがきとあとがきを最初に書くらしい。
そして佐藤のまえがきとあとがきは、いつもすばらしい。
逆にいうと、中盤ダレることはあります。笑
でもこの本は違ったなー。
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民族とナショナリズムと国家について。
「民族」への帰属意識、ナショナリズムは、国をまとめあげる一種のまやかし。
あとボクは文学部で勉強してて、本を読む意味というものが考え続けてきたのですが、その答えもなんとなく得られたような気がします。
小説を読む意味は、ストーリーテラーとのしての能力をつけるためなんです。
なんでも、人とか、組織とか、会社とか国家を動かそうと思えば、
説得して納得させなければならない。
人間は論理だってない説得でも納得するもの。
論理立ってることよりも、物語性がある事のほうが大事。
その物語を意識して俯瞰することができるようになるためにも、
小説を読む、ということは大事。
物語を作る、そして自分たちが巻き込まれている物語を客観的に眺める能力をつけるのに、小説はいいトレーニング。
神学の世界には「総合知に対立する博識」という格言がある。断片的な知識をいくらたくさん持っていても、それは叡智にはならないということだ。断片的な知識を以下につなげて「物語」にするかが、有識者の課題とわたしは考える。ここでもストーリーテラーとしての能力が必要になる。
「ストーリーテリングの能力」というのはキーワードですね。
この能力を開発する、ということが、
「小説を読む意味って?」
という問いの答えのひとつになるかもしれない。
以上はまえがきに書いてあったこと。
佐藤は本を書く時、まえがきとあとがきを最初に書くらしい。
そして佐藤のまえがきとあとがきは、いつもすばらしい。
逆にいうと、中盤ダレることはあります。笑
でもこの本は違ったなー。
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民族とナショナリズムと国家について。
「民族」というのはネーションステート(国民国家)を作るのに一番主流の宗教なのです。
「民族」への帰属意識、ナショナリズムは、国をまとめあげる一種のまやかし。
でも佐藤はそんなまやかしを馬鹿にしてるわけじゃない。
人間は結局そういうまやかしで動かされるものだって言ってる。
佐藤自身キリスト教なのに、まやかしの比喩として宗教を使うところがいいですよね。
さめてる。
ナショナリズム以外に国をまとめあげるモノはどんなものがあるのかしら。
国民国家の次の段階として、帝国がある。
日本は帝国。
国民国家では国民は均一。 帝国はそうじゃない。
国民国家の次の段階として、帝国がある。
日本は帝国。
国民国家では国民は均一。 帝国はそうじゃない。
そして、日本は帝国。
これは意外に思えるけど、沖縄の存在が日本を帝国にしている。
日本政府の沖縄と本土の扱いは圧倒的に違う。
「沖縄は日本の属国」として考えたら、いろいろ説明がつくよね。
中国はネーションステイト(国民国家、均一な国家)もできてないのに、帝国ぶってる。
アメリカもイギリスも帝国なんだとしたら、どこが均一じゃないんだろう。
日本の沖縄は、アメリカのなに当たるんでしょう。
ハワイ?ネイティブアメリカン?
実念論(リアリズム)と唯名論のハナシ。
アメリカはまさに唯名論的な国。
イギリス日本は実念論的。
つまりどういうことかというと、
目には見えないし、言葉にするのはむずかしいけれど、
なにかその場を支配してるような力はある。
そしてそれがリアル。なぜなら神が作ったものだから。
と考えるのが実念論。
例えばイギリス。
成文憲法を持ってないところとか、まさにそう。
そして日本も憲法から外れたことを全然やってる。
そーいうことを平気でするのは実念論的だから。
天皇の存在も実念論でないと説明できない。
逆に、アメリカはまさに唯名論的な国。
確かに憲法の改正の頻度もすごいよね。
ルールははっきりさせたいというか、すべて表現したがるというか、そういう感じ。
イギリスがぼんやり帝国主義的に拡大して縮小することに成功した理由は、中世に関係してる。
中世や古代の人は「目には見えないものは確実に存在する」という考え。
その考えが引き継がれているのは、ボヘミアとイングランドだけ。
うんうん
唯名論と実念論、このカテゴライズもまたおもしろいですねぇ。
もっと簡単に言うと
目に見えるものしか信じない人と、そうじゃない人
とでも言えますでしょうか。
わたしはこれから世界的に実念論の時代が来る予感がします。(中略)古い時代の残滓とされてきたものが、新・帝国主義の時代においては逆にすごく力を持っていくのではないかと思います。
この佐藤の意見に根拠はないけど、説得力がある。
いやあえて説得力をもたすために根拠を話さないのかな?
根拠はないけど説得力のあるものが人を動かすんですもの。
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戦後日本に出てきたものを端的に言うと合理主義、生命至上主義、個人主義の3つ。
でもこの三本柱だと、力の要素がない。国家は本来力や暴力の要素で成り立っているものなのに。
じゃあ実際の力の要素はというと、日米安保条約。
的な文章がありました。
「国家本来は絶対的に「力」によって成り立ってる。」
っていう前提が出てきましたネ。ふーん。
そこンとこちゃんと考えなな。
力によって成り立ってる。。。ふーーーん。
池上彰さんの『世界の十冊』の『プロ倫』でウェーバーが軍隊を「暴力装置」と定義してたな。
そこらへん考えよう。
むしろそこらへん考えんと、日米安保とかに手をだすと右翼っぽい思想になりそー笑
(オーストラリアの風景。iPhoneって空がキレイに撮れますよね。)
右っぽい話のあとは、左のハナシ 笑
マルクスの『資本論』のハナシ。資本主義のハナシ。
マルクスはお金と商品の関係を、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』のセリフを使って説明します。
「真の恋がおだやかに実を結んだためしはない」(この言葉も要検討 笑)
商品はお金を愛する、けどお金は商品を求めてないんですね。
マルクス曰く、「商品体から金体への飛躍は、商品の命がけの飛躍である」
だから労働力という商品を資本家に売ってる労働者は弱いのね!
資本家と労働者の関係が単純に需要と供給の関係にならないのかがずっと分からなかったんですが、うん、なんとなくわかったような気がする。
この本はとにかく本当におもしろかった。
いっぱい分析のツールを授けてくれました。