2014年5月12日月曜日
『方法序説』デカルト 小場瀬卓三=訳 ★★★☆☆
いわゆる名著、ロングセラー、ベストセラー。
テーマ「哲学」の本丸、ひとつの山場です。
緊張して読みはじめたら意外とサクサク読めて驚き。
でもなんだか期待が大きすぎたのかピンとこなかった。
心臓の考察とか読むに値するのかなって感じ。
古典をよんで「期待はずれ」と感じることにも意味はあるのかも。
いかんせん一回しか読んでないからそんなふうに結論づけるのは早いか。
再読、精読したい一冊。
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この本を読むに至るには以下の様なきっかけと理由がありました。
①元外交官の佐藤優が再三再四、折にふれて哲学について言及
②冒険投資家、ジム・ロジャーズが学生の「お金持ちになるには?」の質問に対して「哲学やれ」。
③東進の林修さんが、勧める一冊。
④ぼくの専攻が文学で、哲学の知識はそれに役に立つであろうから。
以前にも書きましたが、直接のきっかけは林修さんのブログで『方法序説』に関するエントリを読んだからです。
そこでは
「デカルトがしたように全てを疑いながら読むのが、この本に向かう正しい姿勢」
というふうに書かれていたので精読&精読を心がけて読んだのですが、意外と一晩で読めました。
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以下疑問に思ったことメモ
・「疑ってる意識」は疑えないけど不完全。
でも無から有がありえないのと一緒で、なにもないところから不完全なものは生まれない。この不完全なものを担保する完全なものが神。ってこと?
この論の運び方がカントによって否定されてんの?
なんで不完全なものを担保する完全な物が必要なん?
てかデカルト自身もあんま神さまの存在証明に自信持ってないですよね?
・結局この本で言う「明証的」なことってなに?
「疑ってる自分の意識」だけ?
デカルトは神をそこに入れちゃうのんためらってる気がするんやけど。
・論理が破綻してるこの本読む意味ってなんなん?
「神が幅利かせすぎてた時代に一石投じた本」とか
マルクス『資本論』の資本主義の分析の部分みたいに
「本の一部分はあってるし、そこはすごい本質ついてる」みたいな感じで読むの?
・この本の「神」ってキリストの神じゃなくて日本の「神さん」的なものに置き換えて読むんはアリ?
・デカルトは世間体と名誉欲めっちゃ気にしてますよね。
ガリレオのように断罪されることをめっちゃ怖がってるし、世間体のことも「全然気にしてない!」って何回も言って謙遜のポーズとるけど、ホンマに気にしてないんやったらそーいこと言わないですよね。
・帰納法も演繹も例外があったり前提が間違ってたら全然使い物なりませんよね。
そんな不確実な道具つかって「論理的」とか言って話し進めていいの?
実際間違いもいっぱいあるし、デカルトが信頼するほど優れた道具じゃないような気がします。
・そもそもデカルトのいう「真理」の定義は?神のこと?
・「人間はほかの生物の上に立つ」っていうキリスト教的な考えにデカルトは違和感を覚えてんの?
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デカルトは自分の仕事にすごい自信を持ってる。
それこそ林修さんがじぶんの現代文の授業に「絶対的な自信ある」って言ってるみたいに。
「おすすめの本」にデカルトを挙げることで自分に泊をつける的な意図が、林修さんにはなきにしもあらずだと思います。
以前「情熱大陸」で「テレビにでることのメリット、デメリットを計算してる。数学が出来る人はそういうことを考えてるんですよ。」的なこと言ってたもん。
Dainさんも『方法序説』読んだけど、そんな印象に残ってるわけではなさそうでした。
この本ぼくにとって「人生の一冊」にならなさそーーー。
とりあえず一回目の読書ではそんなふうに感じております。